プロフィール

子どもの頃、広島で被爆した祖母の背中のケロイドを見て、「戦争だけはいや」と漠然と思っていました。平和は政治家としての原点です。

1941年 11月 父・西田司一(東京大学教授・畜産学)、母・基子の長女として生まれ、東京練馬区で育つ。
1964年
命がけで戦争に反対した日本共産党の存在を知り入党。
菊坂診療所ケースワーカー。地域医療に取り組む。
1975年 文京区議初当選。以後6期22年。
1997年 7月 東京都議会議員選挙(定数2) 第1位で1期目の当選。~経済・港湾委員、建設・住宅委員会副委員長など歴任(1997年~2001年)
2005年 7月 東京都議会議員選挙(定数2) 第1位で2期目の当選。
2013年 7月 東京都議会議員選挙(定数2) 第2位で3期目の当選。文教委員会委員長
学歴:立教大学文学部史学科卒
家族:夫と3男
趣味:拓本、絵手紙など

私のあゆみ

空襲を体験 -- 父は東大農学部の「馬博士」

父が教員として赴任していた宇都宮で空襲を体験。市内爆撃で夜の空が真っ赤になっていたのをいまでも覚えています。 獣医で大学の教員。練馬の家の庭に、ヤギやウサギを飼っていて、こどもが生まれるとすぐ本郷の研究室にもって行ったのを覚えています。

被爆 -- 祖母の背中に心がふるえた

私が小学生の夏の頃、母の実家の広島で。入浴していた時、祖母の背中の大きなやけどのあとを目にしました。びっくりした私は、思わず「おばあちゃんどうしたの」と聞いてしまいました。祖母は「ピカにやられたの。強制疎開で尾道から転居してすぐのことだったわ・・・。戦争は絶対だめよ」と静かに語ってくれました。「原爆と戦争はだめ」の思いを幼心に刻みました。

スコップとバレンを手に考古学の世界へ

中学の担任の先生の影響で、考古学の楽しさを知りました。善福寺川地域の縄文遺跡や石神井城跡発掘などに明け暮れた毎日で、大学二年生まで穴掘りと石碑の拓本に夢中でした。

親に隠れて安保反対 -- 国会に

大学入学の年は六十年安保で騒然としていました。連日のように銀座を道いっぱいのフランス式デモで「安保反対」と喉をからすほどの大声をあげていました。「なんでこんなに帰りが遅いの」と母に何度も怒られました。理由は言えませんでした。

東洋史を専攻。卒業後、日本共産党が、戦争中に命がけで戦争に反対してきたことを知り驚きました。この道だと二十二歳の時に入党しました。

就職、医療活動、区議初当選そして都議へ

結婚後、菊坂診療所のケースワーカーとして就職。社会保障の運動、保育・母親運動に参加。川越すずのさん(無所属区議。東京母親連絡会会長・新婦人東京支部長)のあとを継ぎ、七五年初当選以後6期22年区議。栗原茂都議の勇退を受け、都議へ挑戦、都議2期。